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プライド

2025年8月7日

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「プライド」という言葉は、


良い意味では 

「自分の仕事にプライドをもっている」

悪い意味では

「彼は、少しプライドが高すぎる」 と、

どちらの意味でも使われます。


私は

『結果を出すこと』

『目的を達成すること』

『自分を高めること』  

にプライドを置くことが大切だと考えます。


プライドの置きどころを間違えてしまうと、

『他人の意見を素直に聞けない』

『自分の非を認められない』 ことから、


「自身の成長を妨げる」

「成長の機会を失う」 ことに繋がります。


藤栄館には、いわゆる「秀才」が今も昔も在籍していますが、彼・彼女達の共通点は、

(才能だけでなく、努力もしているという意味で「天才」ではなく、「秀才」)


◎安易に質問せず、出来る限り『自分で解く』ことにプライドを置いている

◎ただそれでも、分からないことは分かるまで質問する

◎目先のテキストの×は気にしない(試験で結果を出すことが重要だと考えている)


「結果を出す」

「目的を達成する」

「自分を高める」 ことに

プライドを置いていることがわかります。


逆に伸びにくい生徒の特徴は


△分からないとすぐ質問する(諦める・頼る)

△分からなくても、分かったふりをする

△テキストに×があると恥ずかしいと考える  


これらは「悪いプライド」と言えます。


藤栄館では、1~10まで「全て解いて見せる」ような指導はしません。


講師研修でも、

『「教える」んだけど「教え過ぎない」』 

ように伝えています。

(生徒がテストで自力で解けるようになるために)


一人で自転車に乗れるようになるまでの、「最低限の補助」こそが「最高の指導」だと考えているからです。


私は、質問に即答できないときは、正直に伝え「調べてから正確に」教えます。(これは生徒も知っています)


他の講師も、判断に迷った時は、たとえ生徒の前でも私に質問に来ます。


なぜなら、私たち(藤栄館)も、「結果を出す」ことにプライドを置いているからです。

(そうは言っても、私も講師も改善点はまだまだあり、常に向上心をもっていないといけないと思っています)


「先生」という立場に『変な』プライドをもって、曖昧な知識の伝授や自信のない指導を行うことは、生徒のためになりません。


当然、本来の目的である結果も出せません。



ところで、今年度志太地区では、国語の採択教科書が改訂されました。


私もそれに伴い、各学年の教科書を読んでいますが、

中2の漢文「二千五百年前からのメッセージ(孔子の言葉より)」に次のような文章があります。


「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり」


『自分がまだ知らないことを素直に認めることが「知る」ということ』 


という意味で、生徒用の解説には、


『自分が知らないことを知ったかぶりせず、謙虚な気持ちで学び、自分を成長させることが大切だ』


とあります。 


これも「良いプライド」の例でしょう。


分からないことは、恥ずかしいことではありません。


ただ、分からないままにすることは、恥ずかしいことです。


藤栄館では生徒が「結果を出すこと」にプライドをもてるよう指導しています。


『生徒は教師の鏡』と言いますから、きっと無意識に私たち(指導者)の姿勢が伝わっていると思います。


「結果を出すこと」

「目的を達成すること」

「自分を高めること」


こうしたプライドは、きっと、目先の勉強や試験だけでなく、大人になって仕事をするようになっても、大切なことでしょう。


中学入試・高校入試は「人生の通過点」に過ぎません。


今後も勉強を通じて『良いプライド』を育てていきます。

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